2014年3月27日木曜日

What is your nationality?

海外旅行に行くと到着した国の入国カードにNationalityとあることがよくあります。ここにはJapaneseと書くべきなのでしょうか?それともJapanなのでしょうか?

ここはJapaneseと書いておけば問題になることはありません。My nationality is JapaneseあるいはI have Japanese nationalityの略としてJapaneseでいいのです。日本語では国籍と言われたら日本という国なのでJapanになりそうな気がするのですが、英語では「nationality=国家への属性」であって、「nationality=国家そのもの」ではないようです。country of nationalityならばJapanになるはずです。

これをもってNationalityに対してJapanと書くのは間違いだと主張している人がたくさんいますが、それもどうかと思います。アメリカのパスポートのNationality欄にはUNITED STATES OF AMERICAと書かれているそうです。そしてカナダのパスポートではCANADIAN / CANADIENNEなのだとか。ということは、細かいことを言わなければ、JapaneseでもJapanでもどちらでもいいのではないでしょうか?

「地球の歩き方」の凡例も必ずJapaneseですが、私はいつもJapanと書いています。その理由はそれが正しいと思っているからではなく、長い単語は書くのが面倒くさいと思っているからであり、Japanの方がJapaneseよりも3文字短いからです(笑)。

2014年3月22日土曜日

ハイブリッド化した日本語

この前訪れたブラジルのリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)はカタカナにすると覚えにくいし口にするのも難しい地名です。「リオじゃないだろ」と現地で言ってもなんとか通じそうな気がしています。

アホなだじゃれはさておき、ポルトガル語でリオデジャネイロのRioは川、Janeiroは1月なので、リオデジャネイロの意味は「1月の川」なのだそうです。「地球の歩き方」によると、1502年1月にグアナバラ湾を発見したポルトガルの探検隊がこの湾を川と勘違いしたことに由来するのだとか。ポルトガル語に限らずフランス語などラテン系の言葉は「A de B」が「BのA」の意味になっていますね。

JALの「うどんですかい」は「空のうどん」という意味の巧みなだじゃれです。最初はおもしろいと思っていたのですが、こういう言葉があちこちで氾濫してくるとさすがにもう結構という気持ちになってきます。「スクラッチdeクーポン」とか「ネットde買い物」などは語順が逆で、もはやアルファベットで「de」と書く意味もないような気がするのですがどうなのでしょう?

日本語のハイブリッド化によって生み出される新しい言葉に最近興味を持っており、こういう言語文化を真剣に研究したらおもしろいのではないかなと思っています。

2014年3月21日金曜日

「人間として」という訳は適切か?

甘っちょろいヒューマニズムとアジアに土下座でおなじみの朝日新聞(DIGITAL)に「マレーシア機の捜索、豪が再開 範囲広く難航予想」という記事が出ていました。

この記事には「アボット豪首相は、国賓として訪問中のパプアニューギニアで記者団に「真相究明のため人間としてできる限りのことをやる」などと述べた」と書かれています。

この「人間として」という言葉に強い違和感があり、元の英語は何だったのだろうか?と思いました。

英語の記事を探したところ

We will do everything we humanly can to try to get to the bottom of this.

であったようです。このhumanlyを「人間として」と訳すのは正しいのでしょうか?

オーストラリア本土から遠く離れた広大な海域でオーストラリアの利益と直接関係のない困難を極める捜索のために多大な労力とコストを投じる理由についてアボット首相は「humanly」と述べています。

「人間として」という訳が間違っているとまでは言いませんが、「日本語として」違和感はたいへんなものです。なぜなら「(どこにでもいる一人の)人間として」ではなく「オーストラリア(国家)として人道的見地から」という文脈が存在しているからです。

ゆえに、このhumanlyは文脈を考慮すると「人道的見地から」と訳すべきです。機械翻訳レベルの仕事しかできない記者の言語能力を疑ってしまいますね。さすが、朝日新聞(笑)。

2014年3月18日火曜日

名詞における輪郭の有無

日本の学校では(今はどうか知りませんが)coffeeは数えられない名詞なので、a cup of coffee、two cups of coffeeなどとして数えると習いました。しかし、アメリカに行くとふつうにa coffeeと言ってます。ビールもわざわざa glass of beerと言わなくてもa beerで通用します。

名詞に輪郭があるとき、例えばりんごが一つならan apple、二つならtwo applesとすればいいわけで、非常にわかりやすいのですが、難しいのは輪郭のない名詞です。

例えば、コーヒーは液体であって明確な輪郭はありません。ところが、カップに注ぐと輪郭がなかった液体のコーヒーが輪郭を持つことになります。それゆえ、a coffeeで通用してしまうのです。アメリカではCan I have a coffee?でコーヒーを注文できます。

もちろん、これはイレギュラーな用法なのですが、長い言葉は短く省略されるという地球上の言語に普遍的な法則によって定着してしまっています。

英語の名詞では輪郭の有無が非常に重要になります。英語が難しいのは輪郭のない抽象的な名詞がしばしば複数形になって、しかもその意味が変わったりすることです。

そのような難しい名詞(例えばinstruction)の用法は一つ一つ覚えていくしかありませんが、そういうのが嫌になって人工言語のエスペラントに走る人も多いようですね。お気持ちはわかりますが、エスペラントは勉強しても役には立ちません(笑)。

2014年3月15日土曜日

南米大陸における英語

「英語」という言葉を聞いただけで身構える日本人の英語コンプレックスはすごいと思います。確かに、日本人の英語に対するセンスのなさはおそるべきだと思いますが、それでも南米の国々よりマシではないかと思っています。

南米大陸では英語はガチで通じません。この前行ったブラジルでも、空港にいる航空会社の人が頑なにポルトガル語で話してくるので、「English?」と言ったら首を横に振られました。飛行機の中でもアナウンスがポルトガル語しかないことがあり、今のは何だったのだろう?と疑問に思うこともしばしばでした。

ブラジルでスーパーに行くとレジで必ず何かきかれるので、「レジ袋は必要か?」ということなのかなと思ったのですが、どうもそうではなく、あれが何だったのか未だに疑問が解決していません。

外国人客の多い豪華なホテルに泊まったのに、客室のドアに「Be sure to lock the door when living the room.」と書かれていたり、ホテルのレセプションでも英語が通じなくて困ったりとか、数え上げたらキリがないほどです。

とにかく、南米大陸では絶望的にスペイン語とポルトガル語以外の言葉が通じないのですが、日本人との違いはあの大陸の人たちが全く英語コンプレックスを抱いていないことでしょう。これくらい潔いと気持ちがいいと思うほどです。

ブラジルに行くときはポルトガル語を少しは勉強しておいた方がいいのかと言えば、そういうわけでもなかったです。ブラジル人は異常に親切で、言葉が全然通じなくても困っていたら情熱的に助けてくれました。ブラジルではオブリガードだけ言えればなんとかなります(笑)。

2014年3月13日木曜日

「おやすみ」という訳は適切か?

マレーシア航空機墜落のニュースは常日頃飛行機で移動している私にはたいへんショッキングな出来事でした。アジアの航空会社には安全に問題のあるところがとても多いです。

これが中国へのテロではないことを願っています。もし中国の人権や政治問題に対するテロだとしたら、もう中国の飛行機には怖くて乗ることができません。(航空券が安いので最近よく乗っているのですが。)

さて、YOMIURI ONLINEに「了解、おやすみ…不明機パイロット最後の交信」という記事が出ていて、何が言いたいのか意味がわからず混乱しました。

この記事によると「同機が消息を絶つ直前、ベトナムの管制域に入る際、マレーシアの管制が「間もなくホーチミンの管制域に移る」と伝えたところ、パイロットが「了解。おやすみ」と応じたのが、最後の交信だった」とのことです。

まだ仕事をしている相手に「おやすみ」と言うなんて頭がおかしいです。航空管制官が仕事中に寝たらだめでしょ(笑)。誰もがそういう記事なのか思ってしまったのではないかと思います。

しかし、英語のニュースによると、これは(予想通り)「All right, good night」だったそうです。この「good night」を「おやすみ」と訳しますかね?

英語を翻訳するときは文脈がすべてだとこのブログでいつも書いていますが、この文脈では「おやすみ」と訳すのは明らかにおかしいです。日本の学校では頑なに「おやすみ」と教えているようですが、実際は必ずしもそうでありません。

洋画の吹き替えや字幕ではときどき「よい夜を」と訳されていますが(実際に文字通りそういう意味なのですが)、日本語的にはそういう言い方はあまりしないですね。これは夜に相手と別れる時の言葉で意味的には「さよなら」だと思います。

2014年3月11日火曜日

somethingとanything

中学の英語で肯定文ではsome(something)、否定文と疑問文ではany(anything)と習いましたが、この単純なルールには例外がたくさんあります。例えば、「飲み物はいかがですか?」と相手に問いかけるときは

Would you like anything to drink?

と尋ねますが、この文では

Would you like something to drink?

とすることもできます。相手に何かを勧めたりお願いしたりといった肯定的な答えを期待しているときには疑問文でもsome(something)が使えるからです。

これらの文の意味はほぼ同じでどちらを使ってもいいのですが、両者のニュアンスは微妙に違うそうです。前者では飲み物の選択肢がたくさんあって何でも選べるような状況で、後者では選択肢は限定的になっているとのことです。

確かに、選択肢がコーヒーと紅茶しかないときにanythingでは無理がありそうなので、somethingを使うべきなのでしょうね。

some(something)とany(anything)の使い分けはなんとなく雰囲気でわかるのですが、それがなぜかと問われると理由を説明するのが難しいものです。完全なルールとは言えませんが、肯定文だから疑問文だからという理解よりも、some(something)は「数量や名前が不明な何か」で、any(anything)は「不特定な何でも」としておくのが無難ではないかと思っています。