2014年3月21日金曜日

「人間として」という訳は適切か?

甘っちょろいヒューマニズムとアジアに土下座でおなじみの朝日新聞(DIGITAL)に「マレーシア機の捜索、豪が再開 範囲広く難航予想」という記事が出ていました。

この記事には「アボット豪首相は、国賓として訪問中のパプアニューギニアで記者団に「真相究明のため人間としてできる限りのことをやる」などと述べた」と書かれています。

この「人間として」という言葉に強い違和感があり、元の英語は何だったのだろうか?と思いました。

英語の記事を探したところ

We will do everything we humanly can to try to get to the bottom of this.

であったようです。このhumanlyを「人間として」と訳すのは正しいのでしょうか?

オーストラリア本土から遠く離れた広大な海域でオーストラリアの利益と直接関係のない困難を極める捜索のために多大な労力とコストを投じる理由についてアボット首相は「humanly」と述べています。

「人間として」という訳が間違っているとまでは言いませんが、「日本語として」違和感はたいへんなものです。なぜなら「(どこにでもいる一人の)人間として」ではなく「オーストラリア(国家)として人道的見地から」という文脈が存在しているからです。

ゆえに、このhumanlyは文脈を考慮すると「人道的見地から」と訳すべきです。機械翻訳レベルの仕事しかできない記者の言語能力を疑ってしまいますね。さすが、朝日新聞(笑)。

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